理系研究者の書評ブログ

30代の化学系の研究者が、読んだ本の書評を書いています。

【ネタバレあり】小川哲『君のクイズ』考察〜主題は人生の【正答化】?!〜

小川哲さんの著書『君のクイズ』を拝読しました。

「クイズプレイヤーの思考が分かる!」

「ミステリーとしても面白い!」

など様々な感想が飛び交っています。

しかし、私は最後の一文が何故だか妙に引っかかりました。
(著者がわざわざ気付かせてくれた?)

改めて本書を振り返ってみて、本書の見方が一変しました。

その理由や私なりの本書の考察を書いていこうと思います。

 

〜〜〜〜〜以下、ネタバレを含みます〜〜〜〜〜

 

あらすじ(ネタバレあり)

クイズ番組の決勝戦で早押しクイズを争う主人公とライバル。
最後の問題、一文字も読まれていない段階にも関わらず、ライバルはボタンを押して見事に正解し、優勝を飾ります。

「なぜライバルは正答できたのか?」

主人公はその理由を解明しようと、決勝戦を振り返っていきます。
物語は進み、主人公はその真相に辿り着きます。

勝戦で出題されたクイズは全て、お互いの人生に関わる問題だったのです。

だからライバルは一文字も読まれていないクイズの正解に辿り着くことができたのだ、と主人公は結論づけました。

ここまでは分かったものの、主人公にはいくつか疑問が残っていました。
その謎を解くために、主人公はライバルと対面します。

ライバルは主人公に対して、「あの問題は人生を肯定してくれた」という旨の説明をします。
主人公は納得しますが、次に発せられたライバルの一言に驚愕します。

「っていうのはどうですか?」

主人公にした打ち明け話は実は作り話(一部は事実)で、
クイズ番組放送後に作ったYouTubeチャンネルやオンラインサロンを伸ばすための策略だ、というのです。
ライバルにとって、最後の問題が正解か不正解かはどちらでもよかった。
ゼロ文字でボタンを押せばインパクトがありYouTubeやサロンの集客に繋がる、ということでした。

そして主人公はライバルと別れ、クイズプレイヤーとしての道に戻ります。
本書はこのように締められています。

「ずばり、クイズとは何でしょう」
僕はボタンを押して「クイズとは人生である」と答える。
「ピンポン」という音はいつまで経っても鳴らなかったが、正解だという確信があった。
百パーセントの確信だった。

 

最後の一文に感じた違和感

百パーセントの確信だった。

なぜ、著者はこの一文を入れたのでしょうか?
この一文がなくても物語は綺麗に幕を下ろしますし、寧ろしつこくも感じてしまいます。
私は、この一文を加える必然性があった、と考えました。
そして、私がたどり着いた結論はこうです。

最後の一文の本当の意味は

『主人公は、「クイズとは人生である」と百パーセント確信したかった』

主人公とライバルの人生についての考え方

主人公は様々なクイズを解いてきた人生でした。
そしてある時、クイズに正解すれば人生が肯定される、ということに気づきます。
その考え方はラストの「クイズとは人生である」という一言に集約されています。

一方で、ライバルは過去をうまく利用しています。
過去をうまく使い、虚実を織り交ぜ、今後のYouTubeやサロンの成功を画策しているのです。

すなわち、主人公は人生を【美化している】、ライバルは【踏み台にしている】と対比できないでしょうか。

ここに人生に対する2人の考え方の根本的な違いがあると感じました。

人生を『正答化』するということ

私は、主人公はクイズのために自分の人生を過度に美化している、と感じました。

例えば、本書の中盤で主人公が過去に恋人と別れたエピソードです。

別れの理由について、彼女から同棲に向いていなかったと説明された、と主人公は述べています。
彼女と別れた主人公は憔悴しますが、その後のクイズ大会で彼女との思い出を頼りにしてクイズに正解します。
そして、彼女との思い出に意味があったのだ、と感じます。

私は、

これは本書が一人称視点で書かれていることによるトリックではないか?
実は彼女はクイズしか考えていない主人公に嫌気がさしたのではないか?

と考えています。

主人公はその事実を直視できていたのでしょうか?
クイズを通して「彼女との思い出に意味があったのだ」と人生を美化し、自身が抱える問題を直視できていないのではないか、と私には感じられました。

一方で、ライバルは自分の人生を徹底的に利用します。
イジメや過去のクイズでの失敗、そういったものを全て足掛かりにして、人生を進んでいこうとするのです。
主人公にとっては人生を賭けたクイズ大会でさえ、ライバルにとっては踏み台しかなかったのです。

両者とも、自分の人生を正当化しています。
人生を正しい答えにしようとしているという点では、

人生の『正答化』

と言えるかもしれません。

主人公とライバルはどちらも正答化していますが、その方法は真逆です。
著者は両極端の存在として、主人公とライバルを描き出したのではないか、と私は感じました。

主人公は人生を美化したかった。だからこそ、

「百パーセントの確信だった」

という自分を信じ込ませるような言葉で物語は幕を下ろすのではないでしょうか。

まとめ

私は、多かれ少なかれ、誰しもが自分の人生を正答化しようとしていると思います。

しかし、主人公もライバルも、非常に極端です。

過度に美化するのも、全てを踏み台のようにして進んでいくことも、決して良いことだとは思えませんでした。
人生には誤りがあって、それを認めてもいいのではないでしょうか。

結局何事もほどほどがいいよね、というありきたりな結論で終わりにしたいと思います。

ご覧いただき、ありがとうございました。