【ネタバレあり】小川哲『君のクイズ』考察〜主題は人生の【正答化】?!〜
小川哲さんの著書『君のクイズ』を拝読しました。
「クイズプレイヤーの思考が分かる!」
「ミステリーとしても面白い!」
など様々な感想が飛び交っています。
しかし、私は最後の一文が何故だか妙に引っかかりました。
(著者がわざわざ気付かせてくれた?)
改めて本書を振り返ってみて、本書の見方が一変しました。
その理由や私なりの本書の考察を書いていこうと思います。
〜〜〜〜〜以下、ネタバレを含みます〜〜〜〜〜
あらすじ(ネタバレあり)
クイズ番組の決勝戦で早押しクイズを争う主人公とライバル。
最後の問題、一文字も読まれていない段階にも関わらず、ライバルはボタンを押して見事に正解し、優勝を飾ります。
「なぜライバルは正答できたのか?」
主人公はその理由を解明しようと、決勝戦を振り返っていきます。
物語は進み、主人公はその真相に辿り着きます。
決勝戦で出題されたクイズは全て、お互いの人生に関わる問題だったのです。
だからライバルは一文字も読まれていないクイズの正解に辿り着くことができたのだ、と主人公は結論づけました。
ここまでは分かったものの、主人公にはいくつか疑問が残っていました。
その謎を解くために、主人公はライバルと対面します。
ライバルは主人公に対して、「あの問題は人生を肯定してくれた」という旨の説明をします。
主人公は納得しますが、次に発せられたライバルの一言に驚愕します。
「っていうのはどうですか?」
主人公にした打ち明け話は実は作り話(一部は事実)で、
クイズ番組放送後に作ったYouTubeチャンネルやオンラインサロンを伸ばすための策略だ、というのです。
ライバルにとって、最後の問題が正解か不正解かはどちらでもよかった。
ゼロ文字でボタンを押せばインパクトがありYouTubeやサロンの集客に繋がる、ということでした。
そして主人公はライバルと別れ、クイズプレイヤーとしての道に戻ります。
本書はこのように締められています。
「ずばり、クイズとは何でしょう」
僕はボタンを押して「クイズとは人生である」と答える。
「ピンポン」という音はいつまで経っても鳴らなかったが、正解だという確信があった。
百パーセントの確信だった。
最後の一文に感じた違和感
百パーセントの確信だった。
なぜ、著者はこの一文を入れたのでしょうか?
この一文がなくても物語は綺麗に幕を下ろしますし、寧ろしつこくも感じてしまいます。
私は、この一文を加える必然性があった、と考えました。
そして、私がたどり着いた結論はこうです。
最後の一文の本当の意味は
『主人公は、「クイズとは人生である」と百パーセント確信したかった』
主人公とライバルの人生についての考え方
主人公は様々なクイズを解いてきた人生でした。
そしてある時、クイズに正解すれば人生が肯定される、ということに気づきます。
その考え方はラストの「クイズとは人生である」という一言に集約されています。
一方で、ライバルは過去をうまく利用しています。
過去をうまく使い、虚実を織り交ぜ、今後のYouTubeやサロンの成功を画策しているのです。
すなわち、主人公は人生を【美化している】、ライバルは【踏み台にしている】と対比できないでしょうか。
ここに人生に対する2人の考え方の根本的な違いがあると感じました。
人生を『正答化』するということ
私は、主人公はクイズのために自分の人生を過度に美化している、と感じました。
例えば、本書の中盤で主人公が過去に恋人と別れたエピソードです。
別れの理由について、彼女から同棲に向いていなかったと説明された、と主人公は述べています。
彼女と別れた主人公は憔悴しますが、その後のクイズ大会で彼女との思い出を頼りにしてクイズに正解します。
そして、彼女との思い出に意味があったのだ、と感じます。
私は、
これは本書が一人称視点で書かれていることによるトリックではないか?
実は彼女はクイズしか考えていない主人公に嫌気がさしたのではないか?
と考えています。
主人公はその事実を直視できていたのでしょうか?
クイズを通して「彼女との思い出に意味があったのだ」と人生を美化し、自身が抱える問題を直視できていないのではないか、と私には感じられました。
一方で、ライバルは自分の人生を徹底的に利用します。
イジメや過去のクイズでの失敗、そういったものを全て足掛かりにして、人生を進んでいこうとするのです。
主人公にとっては人生を賭けたクイズ大会でさえ、ライバルにとっては踏み台しかなかったのです。
両者とも、自分の人生を正当化しています。
人生を正しい答えにしようとしているという点では、
人生の『正答化』
と言えるかもしれません。
主人公とライバルはどちらも正答化していますが、その方法は真逆です。
著者は両極端の存在として、主人公とライバルを描き出したのではないか、と私は感じました。
主人公は人生を美化したかった。だからこそ、
「百パーセントの確信だった」
という自分を信じ込ませるような言葉で物語は幕を下ろすのではないでしょうか。
まとめ
私は、多かれ少なかれ、誰しもが自分の人生を正答化しようとしていると思います。
しかし、主人公もライバルも、非常に極端です。
過度に美化するのも、全てを踏み台のようにして進んでいくことも、決して良いことだとは思えませんでした。
人生には誤りがあって、それを認めてもいいのではないでしょうか。
結局何事もほどほどがいいよね、というありきたりな結論で終わりにしたいと思います。
ご覧いただき、ありがとうございました。
【書評・要約】『EQ こころの知能指数』〜社会で成功するにはEQが必須〜
EQという言葉を聞いたことがあるでしょうか?
心の知能指数(Emotional Inteligence)の略語です。
EQという概念を世間に広めたのが本書『EQ こころの知能指数』です。
目次
著者について
ダニエル・ゴールマンは、アメリカ合衆国の心理学者・ジャーナリストであり、脳科学や心理学に精通しています。
本書『EQ こころの知能指数』の他にも、『21世紀の教育――子どもの社会的能力とEQを伸ばす3つの焦点』などの著作があります。
本書の概要
IQが高い人が必ずしも成功しないのはなぜか?
著者はその理由をEQに見出しました。本書は「EQ」という概念を世に広め、その重要性について解説した一冊です。IQ(知能指数)と同様に、EQ(こころの知能指数)も重要であると主張しています。
本書では、EQの5つの基本定義である自己認識、感情の制御、動機づけ、共感、社会的知性を詳細に説明し、それらを高めるための方法や考え方が紹介されています。
加えて、EQ応用編として、職場や結婚生活に活用する方法を示しています。
本書をお勧めしたい人
・自分自身の感情や他人の感情に興味がある人
・人間関係やコミュニケーションにおいて苦手意識がある人
・リーダーやマネジメントをしている人
要点まとめ
ここからは、私が読んでいて印象に残った点をまとめます。
・EQはIQと同じくらい重要。IQを最大限に発揮するには高いEQが必要。
・EQを高めるには、自己認識、感情の制御、動機づけ、共感、社会的知性のスキルを満遍なく向上させることが必要
・自分自身を客観的に見つめ、自分の感情を理解することが大切(メタ認知)。感受性は高すぎても、全く無くても問題
・他者の感情を理解、共感することで、人間関係はより良好に
・EQを高めることで、リーダーシップやマネジメントにおいても効果的なコミュニケーションが可能に
最後に
本書はEQについて記した名著であり、自分自身や他人を理解するためのヒントがたくさんありました。日常生活、仕事、子育てなど様々な場面で参考になるでしょう。
ぜひご一読あれ。
【書評・要約】『Anthro Vision(アンソロ・ビジョン)』~ビジネスに人類学視点を活かす~
同じ商品でも、地域によって捉え方が違う。ある地域で成功した売り方が、別の地域では全然売れない。
経済学やビッグデータ分析が問題解決に失敗することが多々あります。その原因を人類学の視点で考察したのが本書、『Anthro Vision(アンソロ・ビジョン) 人類学的思考で視るビジネスと世界 (日本経済新聞出版)』です。
【目次】
著者について
著者はジリアン・テット。ケンブリッジ大学で社会人類学の博士号を取得、さまざまな地域の現地調査も経験しています。また、ファイナンシャル・タイムズ紙で編集長などを担当しました。本書以外にも『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』や『愚者の黄金: 大暴走を生んだ金融技術』などがあります。
本書の概要
経済予測や金融モデル、選挙の予想が上手くいかない。こうしたモデルやツールに問題が生じる理由は、文化や背景を配慮せずに使用しているからだ、というのが本書の主張です。著者が実際に体験したエピソードをもとに、人類学的視点が実際のビジネスや政治、経済に役に立つかが語られています。
オススメしたい人
・ビジネスの現場で人間や文化を理解することで、課題解決やイノベーションの可能性を探りたい人
・グローバルな視野を持ち、異文化コミュニケーションや多様性などについて学びたい人
・人類学に興味があり、どのように活用できるかを学びたい人
要点まとめ
ここからは、私が印象に残った点をまとめます。
人類学的視点の3つの基本思想
・見知らぬ人への共感を大切に
・他者の考えに耳を傾ける
・「未知なるもの」と「身近なもの」という概念を理解する。未知なるものに入り込み身近なものにする、身近なものを完全な部外者になった気持ちで未知なるものとして捉える
日本のキットカットの売り方は特殊
日本でキットカットは「きっと勝つ」ということでお守りがわりに使われています。そんな売り方をしているのは日本だけです。
受験シーズンにキットカットの売り上げが伸びている現象を不思議に思った担当者が調べた結果、縁起物として使われていることが判明したそうです。そこからマーケティング戦略が変わりました。「きっとサクラサクよ。」といったキャッチコピーを使ったり、メッセージを書く欄を袋に設けたりした結果、売り上げが大きく伸びたそうです。
欧米の先入観にとらわれず、日本の文化や言葉に着目したことで、ビジネスの成功につながりました。本書にはこのような事例が多く掲載されており、非常に面白く読むことができました。
人類学的視点を身につけるには
①誰もが自らの環境によって形作られていることを理解する。
②人間のあり方は多様性に満ちていることを知る。
③短時間でも他の人々の考え方、生き方に入り込む方法を探す。
④部外者の視点で自分や自分の周辺環境を見直す。
⑤社会的沈黙に耳を澄ませ、ルーティーンとなっている儀礼や象徴について考える。
まとめ
本書は人類学的視点で社会を見ることの重要性を説いた一冊です。著者の経験談をもとに語られており、専門的な話は少なめなのでとても読みやすかったです。今までとは少し違った視点で世界を見ることができるようになると思います。
ぜひご一読あれ。
【書評・要約】『なぜ心はこんなに脆いのか』〜進化心理学の最新動向〜
うつ病と診断される人は日本でも年々増加しています。うつ病などの精神疾患はなぜ起こるのか、と考えてしまいます。人類が進化する過程で消えてしまっても良いかったはずです。「なぜ自然選択は、私たちを精神疾患に対して脆弱のままにしたのか」という問いに向き合ったのがここで紹介する『なぜ心はこんなに脆いのか:不安や抑うつの進化心理学』です。
著者について
ランドルフ・M・ネシー氏は医学博士で、精神医学や心理学の教授も歴任しました。精神科医としての仕事の経験や苦悩が、本書でのリアルで生々しいエピソードとして語られています。
本書の概要
ネガティブな感情にも有用性がある、というのが本書の核となる重要な主張です。進化の過程で必要であったからこそ、ネガティブな感情も残ったのです。うつに限らず、拒食症や依存症などの精神疾患についても語られています。心理学と進化論を組み合わせた新しい研究分野である進化心理学の知見を余すところなく学べる一冊です。
オススメしたい人
心理学に興味がある人にオススメです。ネガティブな感情に関する考え方が変わること請け合いです。
要点まとめ
ここからは私が興味を持ったポイントをいくつか紹介したいと思います。
情動が存在する理由
進化論的な視点から見て、本書では情動を以下のように定義しています。
『情動とは、ある種の生物の進化的歴史において繰り返し現れる状況が呈する適応上の課題への対応力を強化するように、生理、認知、主観的体験、顔の表情、行動を調整するように特化された状態』
様々な課題における対応力を高める、というのが情動の役割だということです。進化の過程で生存する確率が上がるように様々な情動を人類は身につけてきたと考えられます。
体と心が脆弱である理由
著者は心と体の脆弱性に対して、理由は6つあると述べています。
- ミスマッチ──私たちの体は、現代的な環境に対応する準備ができていない
- 感染症──細菌やウイルスが私たちよりも速い速度で進化している
- 制約──自然選択には限界がある
- トレードオフ──体のあらゆる機能には、利点と難点がある
- 繁殖──自然選択は繁殖を最大化するのであり、健康を最大化するのではない
- 防御反応──痛みや不安などの反応は、脅威を前にした状況では有用だ
ネガティブな情動は有用である
ネガティブな情動は有用である、という考えは本書の中でも最も重要な主張です。下痢が胃腸から毒素を排出する役割を果たすのと同様に、ネガティブな情動にも役割はあるのです。例えば、高いところが怖いという感情は高所からの落下のリスクを小さくします。ネガティブな情動を適度に持っていると生き残る可能性が上がることになるのです。
しかし、過剰な反応となると話は変わります。情動の調整メカニズムが適度に働かない場合、生活に支障をきたします。それはネガティブな情動だけでなく、ポジティブな情動についても同じことが言えます。適度な情動が日常生活には重要なのです。
まとめ
本書では様々なネガティブな感情や精神疾患に対して、進化論から見た視点からアプローチしています。一章一章の内容が濃く、興味のあるところから読み始めるのもありです。私自身も、今後折を見て読み返すことになると思います。
本書の前書きでも述べられていましたが、本書の目的は答えを提示することではなく、提案です。今後、本書の中に誤りが見つかることもあるかもしれません。しかし、難問に挑む著者やその仲間の研究者たちの姿勢には胸が熱くなるものがありました。
ぜひご一読あれ。
【書評・感想】『ご冗談でしょう、ファインマンさん』〜天才のユーモラスなエッセイ集〜
リチャード・P・ファインマン。ノーベル物理学賞を受賞した天才物理学者です。そんな彼のエピソードを認めたのが『ご冗談でしょう,ファインマンさん 上 (岩波現代文庫)』『ご冗談でしょう,ファインマンさん 下 (岩波現代文庫)』です。
少年時代からカルフォルニア工科大学で教授時代まで、実に多くのエピソードが掲載されています。
私が特に感銘を受けたポイントを3つ紹介します。
子供の頃から好奇心の塊
ファインマンは気になったらなんでもやってしまう、鼻を突っ込んでみたくなる性格をしていたようです。それは少年時代からで、11、12歳の頃に実験室を自宅に作りました。好奇心の強さは大人になっても変わらず、イタズラをしたりしたエピソードもあります。
より効率的な方法を探すことへのこだわり
少年時代にも研究者になってからも、効率にはとてもこだわっていたようです。様々な工夫をこらすことに楽しさを見出していたのでしょう。
しかし、高校生の頃にアルバイトで働いたホテルでは改善の工夫が認められないことも多く、『ホテルの経営者みたいな「小利口」な人間には、何を言っても無駄』ということを思い知らされ、実際の世の中では刷新ということがいかに難しいかを学んだのでした。現代にも通じるエピソードですね。
過程を楽しむ
ファインマンにとっては難しい問題を考える「過程」を楽しみました。本人の口からも語られていますし、様々なエピソードを読んでいても感じ取ることができました。
ノーベル賞を受賞した研究がどのように生まれたのか、というエピソードは特に特に示唆に富んでいます。ロスアラモスでの原爆に関する研究のあと燃え尽きてしまっていたファインマンはある時に、物理で遊ぼう、という境地に至りました。そして、ぐらぐらする皿を見て遊び半分にやり始めた計算がノーベル賞を受賞する研究の発端になったそうです。楽しむことがいかに重要か、をよく表していると思います。
まとめ
本書は天才リチャード・P・ファインマンのユーモラスなエピソードを多数掲載しています。ファインマンの人柄を知ることができる話から示唆に富んだエピソードまで、幅広く掲載されています。特に下巻最後の『カーゴ・カルト・サイエンス』は研究者として非常に重要なことが述べられています。
ぜひご一読あれ。
会社で世代間の分断はなぜ起こっているのか?
最近本屋に行くと、Z世代やゆとり世代の行動や関係性の築き方を説明する本を数多く見かける。多くは若手世代の部下を持った上司世代が手にとって読んでいるのだと思う。どうやら世代間の分断によって、会社内でのトラブルが起こっているらしい。
私は30歳でゆとり世代に入るのだが「これまでの世代と昨今の若者は何が違うのか」「会社で対立を産まないためにはどうすればいいか」という疑問を持ち、世代論を論じた本や関連の書籍を何冊か読んでみた。ここでは、そこから学んだことや仕事に活かしていきたいと感じたことをまとめてみたい。
なお、ここではゆとり世代以下が若手、という大まかな定義をとした。
今の若手世代の特徴
まず疑問に思ったのは、若手世代が上からどのようにみられているのか、ということである。
「まじめ・優秀・勤勉」といった特徴があることが複数の本で書いてあった。
その一方で「大人しい」「人付き合いが悪い」「ガツガツしていない(出世に興味がない)」ということを上の世代は問題視しているようだ。
若者が飲み会に参加しない、という話は誰しもが聞いたことがあるだろう。
これは「承認」と「効率」に関する価値観が世代によって大きく異なるためだ。
若者も認めてもらいたい。褒めてもらいたい。しかし、悪目立ちしたくないと思っている。
そして、無駄や理不尽を徹底的に嫌う。高い生産性を求める。飲み会は無駄なのだ。
ゆとり教育とスマホと社会の影響
なぜこのような価値観を持ったのか。それは「ゆとり教育」と「スマホ」と「社会的な環境」の影響だ。
「ゆとり教育」では関心・意欲・態度が重視されるようになった。本来そこで求めていたものは「協調」だった。しかしその結果は「同調」だった。みんなと同じで目立たないことを若者は処世術として身につけてしまった。
また、若者は「スマホ」を子供の頃から扱ってきた世代である。スマホでググる習慣が身に染み付いている。答えはいつでもGoogleが教えてくれる。非常に効率的だ。それがすぐに答えを求めるわがままさを持つ結果となった。そして、若者の大半はSNSをしている。いいね!をもらう競争にも晒されているのだ。
スマホとゆとり教育が組み合わさった影響で、同調する力を身につけた一方でいいね!をもらうために競争しているというところが、真面目でも目立つことを嫌うメンタルにつながっている。『先生、どうか皆の前でほめないで下さい―いい子症候群の若者たち』という本がある。この強烈なタイトルがその現状をよく現しているだろう。
「社会的な環境」も大きく変化した。無理して苦労せずともそこそこの生活を送ることができる。デフレが長く続いて日本が良くなる未来も見えない。努力をしたくなくなるのも仕方がない。スマホ一台であらゆるエンタメを楽しめるのだから。
ここまでをまとめると、
ゆとり教育、スマホ、社会的な環境の変化の影響で、これまでの世代とは異なる承認と効率に関する価値観を身に付けたため、真面目な一方で目立つことは嫌う
という矛盾した特徴を持っているのが今の若手世代だと言える。
矛盾した若者世代
そう、若者世代は矛盾しているのだ。行動と心の中で思っていることが違うことが多くある。だからこそ、上の世代は若者の理解に苦しんでいる。
例えば、「はい」という返事をする割になかなか行動しない、昨日まで普通だったのに急に会社を辞める、といった行動をとる。
それは「体面としてはよくしなければならない」しかし「やりたくないことはやりたくない」という二つの感情を抱えているから、というのが多くの本を読んで得た私の結論だ。
なぜ昔の人は飲み会に参加したのか?
上の世代の人々も、やりたくないことはやりたくないだろう。行きたくない飲み会も沢山あったに違いない。しかし、それでも参加した。
それは、我慢すれば会社での出世の道が開けたからだ。
昔の会社は「タテ社会」であった。タテ社会とは、資格ではなく場所によって繋がる社会のことである。会社という場所に集まっただけの社会なので、脆さがある。その脆さを補うために、タテ社会では感情的な結びつきを求めた。その見返りが出世や年功序列である。そのようなタテ社会では情報も限られ、隣の会社は敵、という考えに至ることも多くなる。忖度も蔓延っていた。会社の掟に従わなければ、厳しい状況に陥ってしまう。飲み会に参加するなど、会社に奉公することに十分な意味があったのである。当時はそれでうまくいっていたのだ。
それが現代になり、インターネットが発達、情報が広まり、転職も当たり前になった。会社も社員を守りきれず、年功序列も崩壊一歩手前だ。若者が会社にしがみつく理由がなくなったのである。
これから求められる関係性とは?
それでは、これからの若手世代と付き合うために、上の世代は何をすれば良いのか?
今の若者は横のつながりの方が心地よいと感じる。そのため、主従関係ではなく、どちらかと言えば、仲間のような関係性を築くことが必要だ。本によっては別の表現がされているが、同様のことが述べられていた。支配ではなく、心理的安全性が高い職場を築くことが求められている。
加えて、若者は我が儘だ。感情的に納得がいかないことはせず、忖度もしない。だからこそ、動いてもらうためには説明力、プレゼンテーション能力が必要になる。それは会社の無駄を見直すという意味でも、重要なことだろう。
若手世代はどうしたら良いのだろうか?
若手世代は安定を求めて苦労することを嫌っているのはよく分かっている。私もゆとり世代だから。しかし、安定とはなんだろう?苦労せずに手に入る安定などあるのだろうか?そんなものは本当は存在しないのだろう。目を醒さなければならない。
同調圧力を感じて目立ちたくないのも分かる。だが、あなたはその空気を作る側に立っていないだろうか?出ようとしている杭を、若手世代が団結して引っ張り上げることが大事なのではないだろうか。
加えて、若手からも上の世代に話しかけなければならない。諦めた人も多いのだろうが、上の世代の人にもう一度仕事の質問をしてみてはどうだろう。
結局、どちらの世代からも歩み寄りが必要だ。
まとめ
なんとなく疑問に思って勉強し始めた世代間の分断。その原因は社会構造にまで及ぶ根深い問題だった。私の頭を整理するための雑多な文章になってしまった部分はあるが、何か参考になる部分があれば幸いである。
参考文献一覧
【書評・要約】『知ってるつもり 無知の科学』〜認知的分業をするように人間は進化した〜
あなたは自転車の絵を正しく書けますか?水洗トイレのメカニズムを説明できますか?試してみるとわかると思いますが、意外と正しく書けないものです。そんな人間の「無知」に注目したのが本書『知ってるつもり 無知の科学』になります。
著者について
著者はスティーブン・スローマンとフィリップ・ファーンバックの2名。ともに認知科学者です。
本書の概要
自転車の絵を正しく書けず、毎日使う水洗トイレのメカニズムも説明できないように、私たちは自分が想像するより遥かに無知です。本書ではまず、なぜ人は自分の無知を自覚していないのかを説明します。そして、なぜ正確に知っている物事がこれほど少ないにも関わらず、人々は支障もなく生活できるのか、その謎を解き明かしていきます。終盤では、無知とどのように向き合べきかを説いています。
興味深いのは、無知であることが必ずしも悪いことばかりではなく、それなりの役割がある、ということです。無知そのものではなく、無知を認識しないことこそが問題なのです。
オススメしたい人
科学好きや心理学が好きな人には特にお勧めできます。とても読みやすいので、高校生からビジネスマンまで、幅広い層に読んでいただきたいです。多くの人が楽しみ、そして驚かされることでしょう。
本書は中身は心理学だけでなく、コンピュータ・サイエンス、ロボット工学、進化論、政治学、教育の各分野を横断しています。たくさんの知的刺激を与えてくれる一冊です。
要点まとめ
ここからは、私が興味深いと思った点をまとめます。
人間はコンピューターではない
当たり前のことのようですが、本書を読み解く上でまず理解しなくてはいけないのがこの点です。コンピューターは大量の情報を保持するように設計されていますが、人間の知性は情報を保持するために進化したのではありません。人間の目的は「行動」にあります。人間の知性は多種多様な条件で意思決定を下すために最も役立つ情報だけを抽出するように進化したのです。つまり、コンピューターとは異なり、人間は柔軟な問題解決装置なのです。
知性はシームレス
全ての情報を保持できない以上、全知全能の人間は存在しません。人間は「認知的分業」をすることでこれほど多くのことを達成してきました。各々が農業、医療、工学、裁縫、狩猟、音楽の専門家となり、協力することで、社会生活を営み、世界をより便利に発展させてきたのです。
このような他者と分業するコミュニティで生きるには、自分の記憶の中に保管されていない情報を入手可能か知っておく必要があるのです。私たちの知性は自らの脳に入っている情報と、外部環境に存在する情報とを連続体として扱うような設計に進化してきました。そのため自分が思ったより無知なのは、進化のプロセスによって起こったことなのです。
知識を持っているかより、アクセスできるか
コミュニティができて知識が共有できれば、共通認識が生まれ、共通の目標を追求できるようになります。このようなコミュニティにおいては、自分が知識を持っているかより、知識にアクセスできるか、が重要になります。人間が思いの外無知なのはここにも理由があります。
優れたテクノロジーが多く生まれ、ますます世界は複雑になります。仕組みを理解できないテクノロジーは今後ますます増えるでしょう。知識を持っているという錯覚はますます強くなることが懸念されています。
賢さの定義
これまで、賢さとは個人の知性によるものでした。しかし、前述のように、知性は共有するように人間は進化してきました。そうであれば、集団としての知性が重要ではないか、と本書は提起しています。そうなると、知識をつめ混むことより他者と協力する能力が重要になってくる可能性があります。
そして、集団の知性を分析するためのc因子なるものの研究も進んでいるそうです。もちろん研究は一筋縄では進んでいないようですが、今後の展開が気になるところです。
まとめ
本書は人間の「無知」について扱った一冊です。無知であることよりも、無知であることを理解していないことが問題であるといいます。人間が自分の知識を過大評価するメカニズムが説明されているほか、本書の終盤では科学や政治との向き合い方も述べられています。人間の知性を深掘りした、興味深い一冊でした。
ぜひご一読あれ。