理系研究者の書評ブログ

30代の化学系の研究者が、読んだ本の書評を書いています。

【書評・要約】『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学』〜お金が足りないと頭が悪くなる〜

今回は『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学 (早川書房)』のレビュー・要約をします。

本書の主張を一言で言えば、
「何かが足りない=欠乏している状態は思考の処理能力を低下させる」
ということです。

お金がない、時間がない、食事がないなど、必要なものが不足している状態は人の処理能力を著しく下げてしまいます。ある実験では、欠乏状態にあるとIQが13ポイントも下がることが示されました。これは「平均」から「知的障害との境界線」とされる段階に下がるほどです。

なぜそのような事態に陥ってしまうのでしょうか?ここからはその理由をわかりやすく要約していきたいと思います。

目次

「欠乏」とはどのような状態か?

本書では欠乏を

『自分の持っているものが必要と感じるものより少ないこと』

と定義しています。お金や時間、食事、人間関係といったものが少ないと感じる時、人は欠乏状態に陥ります。

このような状態になると、足りないもののことばかり考えてしまいます。ダイエット中に食事のことばかり考える、返さなければいけない借金のことが仕事中に浮かんでくる、といった状態です。

とにかく考えまい、他の作業に集中しようとしても、ほとんど無意識のうちに優先順位のトップに来てしまいます。

欠乏状態になると人はどう変わってしまうのか?

欠乏の良い効果

まず、欠乏の良い面から説明します。
〆切効果というものを聞いたことがある人も多いかもしれません。〆切が迫っている時ほど作業に集中できるというものです。
前に述べた通り、欠乏状態にあると、人はそのことが優先順位のトップに来ます。そのため、他のことを考えなくなり、普段以上の集中力が発揮できるようになります。〆切効果が出せるのは、ノルアドレナリンが分泌されることによる影響だと考えられます。

欠乏によって心の占拠が生み出すプラスの効果を、著者は「集中ボーナス」と名付けています。
時間以外にも、あらゆる種類の欠乏が集中ボーナスを生み出します。歯磨き粉が空に近くなると大事に使うようになる。チョコレートの残りが少なくなるとじっくり味わうようになる。そう行ったことも集中ボーナスの効果です。

欠乏の悪い効果

心を占拠してしまう欠乏。当然、悪い影響の方がたくさん出てきます。
「占拠」と書きましたが、この言葉がまさしく欠乏の問題を的確に捉えています。欠乏は、心を占拠することで人の処理能力を低下させてしまうのです。

アメリカの消防士の死因の一位は心臓発作なのですが、二位は火事場での事故ではなく、交通事故だそうです。自動車の衝突は消防士の死亡者数の20〜25%にも及び、そのうちの79%でシートベルトをしていなかったそうです。
通報を受けて現場に急行しなくてはいけない消防士は時間の欠乏に直面します。迅速に消防車に乗って家事現場に到着しなくてはならないだけでなく、さまざまな準備も必要です。準備作業に集中しているのです。言い換えれば、他のことが見えない状態になってしまっています。目先の欠乏に対処することだけにひたすら集中するのです。

このように、欠乏は「トンネリング」を引き起こします。トンネルに入るとトンネルと内側になるものはよく見えますが、トンネルに入らない周辺のものは何も見えなくなってしまいます。欠乏も同じような状況を引き起こすのです。
テレビに夢中になっていて隣の友人に話しかけられたことに気づかなかった、という経験をお持ちの方もいるのではないでしょうか。

欠乏の良い面である「集中ボーナス」と悪い面である「トンネリング」は、コインの表と裏の関係になるのです。上手く使えば味方になりますが、大抵の場合は悪い影響をもたらします。

貧乏人は頭が悪い??

欠乏は具体的にどの程度、処理能力に影響を及ぼすのでしょうか。

ここで、著者らは興味深い実験を行いました。ショッピングモールに行って、被験者に認知能力(問題解決、情報保持、論理的推論などを行う能力)を試すIQテストを受けてもらったのです。ただし、その前に仮定のシナリオを見せました。それは以下のようなものです。

あなたの車に不具合があって、300ドル(あるいは3000ドル)の修理が必要です。修理か、もうしばらく車がもつことに賭けるか、決断してください。経済的なことを考えて、決めるのは簡単ですか、それとも難しいですか?

最重要ポイントは、富裕層と貧困層とでは、修理にかかる金額による影響が大きく異なったことです。富裕層は300ドルでも3000ドルでも結果は同じくらいでした。しかし、貧しい被験者は3000ドルとしたシナリオを読んだ時に成績が悪化したのです。貧しい人たちにとって、金銭にまつわる心配事によって、処理能力が大きく損なわれることが判明しました。具体的には、欠乏状態にあるとIQが13ポイントも下がっていました。この低下の度合いは「平均」から「知的障害との境界線」とされる段階に下がることに相当します。

さらなる実験では、貧しい農家は収穫前(貧しい状態)と収穫後(裕福な状態)では収穫前の方が認知能力が下がることが明らかになりました。また、別の実験では、欠乏によって自制心が弱められたり、衝動的になる可能性も示されています。

このように、欠乏は処理能力に負荷をかけるのです。なお、著者はこれはストレスが主要因ではなさそうだ、と注釈をつけています。

欠乏によって心を占拠されている状態をコンピューターで例えれば、バックグラウンドでプログラムが稼働しており、動きが遅くなってしまっている状態、と表現できます。
あなたがこのような状態のコンピューターを見たら、他のタスクで手一杯のプロセッサーをそもそも遅いものと勘違いするかもしれません。本当は優秀なのに…。

貧しい人は処理能力が劣っているわけではありません。誰しも貧しくなると、有効な処理能力が落ちてしまうのです。

まとめ

本書は、欠乏という問題への著者らの取り組みをまとめた一冊です。著者曰く「発展途上の科学」である、とのことです。今後、より研究が進むことでしょう。ここでは欠乏がもたらす問題についてまとめました。本書では欠乏がさらに欠乏を招くということ、欠乏の解決策なども提示されています。

難しい用語は使われていません。世の中の見方を変えさせてくれる一冊だと思います。

ぜひご一読あれ。